感染症よもやま話

2018 01/18 子育て中のママパパへ

父の役割

私の勤務していた病院は約600床の総合病院で、新生児も含めて小児病棟は65床、常勤の小児科医師は11名で、他に研修医が1~2名いました。研修医は医学部を卒業して1年か2年目の医師で内科や外科などいくつかの科を3ヶ月を1単位として研修しています。そのため小児科に回って来る研修医は子供を診察することも初めて、親と話しをするのも初めての経験になります。

ある日、小児科に来て2ヶ月目の男性研修医が次のようなことを言いました。「子供が小さい間はどんな時もママ、ママとお母さんを追い求めるものですね。採血や点滴の時に父親を呼ぶ子供はいません。子供にとっては母親だけが重要に思えるのでしょうか。父親の出番はないみたいです。」と言いました。それに対して子供がもう大学に行っているベテランの医師が「父親が必要になるのは子供が中学校に行きだすころからで、その時こそ父親の威厳をみせ、父親の存在価値を示すことが必要になる。」と答えました。この会話を聞いていて私は子供が幼児期の時の父親の役割について考えてみました。

以前(1999年11月)、東京で2歳の女の子が近所の顔見知りの女性に殺されるという痛ましい事件が起こりました。この事件の原因として幼稚園の入園試験をめぐっての確執が取りざたされていますが真相はまだよく分かっていません。いつものように、この事件についても幼児の教育、育て方についていろいろな『専門家』が意見をだしていましたが、その中に本当かなと思われる内容がありました。それは母親が幼児を育てる時にどの程度子供に情熱を注いでいるかをアンケートで調べたもので、詳しい数字は忘れましたが、専業主婦ではその力の90%位を子育てに費やしているという結果だったと思います。その評論家はあまりにもこの数字は高すぎる、子育てにそんなにエネルギーを費やすことこそ問題で、広く世間を見る余裕を持たないと今回のような事件が起こると話していました。

人間の本性として子供を生んだ母親は無条件に子供の命を育むことに全力を注ぎたくなるものだと思います。母親は夜眠くても、子供がお腹を空かして泣けば、母乳を与え、その安らかな寝顔をみて幸せを感じる。自分にできることは何でも子供にしてやりたいと思い、見返りを求めることなく、子育てをすることが喜びとなる。子育ては女性の特権で、純粋な愛の行為と思います。ですから、子育てはほどほどに、作り出して余った時間はお母さん自身のために使う、世間に積極的に出ていって、家庭にひきこもらないようにしなければならない、これが現代の理想の子育てですという、評論家には納得できません。確かに母と子供だけで、他に一緒に生活する人がいないなら、世間が見えなくなり、自分の考えにのめり込むかも知れませんが、愛する夫がいれば条件は全く違います。

そこで父親の役割ですが、私は父親の働きは妻と子供を優しく包みこみ、世間からの荒波を防ぐと同時に、子供を世間に巣立つための準備をすることだと思っています。子供を育てていく上には実に様々な問題、心配が生じてきます。よその子供に比べて歩くのが、おしゃべりが遅いのではないか、少し大きくなると教育のこともでてくるでしょう。こんな時こそ父親の出番があるのです。夫婦に信頼感があれば、お互いの意見を素直に受け入れることができるでしょう。一人で思い悩むことが少なくなり、自分一人で育てているのではない、二人で協力し、助け合って育てているという実感が生まれる、これが極めて大事なことだと思っています。夫は妻の話しをよく聞き、夫としての考えを述べる。ここでは妻の、そして夫の人生観、宗教感が重要になってきます。夫は自分の仕事で経験したことを基準に話しをするでしょう。それによって妻は社会の常識を取り入れることができる、社会ではどんな人間が望まれているか、また、こんな人間には育ててはいけないなど社会に直結した考えも持てるようになります。妻もその時点での自分の考えを述べるでしょう。もう少し具体的な例を考えてみましょう。

子供が小学校に入るころ、近所の子供の何人かは塾に通って有名な小学校をめざしている。母親は自分の子供も塾に行かせないといけないのではないかと焦りの心がでてくる。父親に相談したら会社が忙しいからそんなことは考える暇がない、そもそも子供の教育はお前にまかせているから下らないことを相談するなと言ったとすれば、母親はどうすればいいか分からなくなり、それこそとんでもない結論をだすかも分かりません。こんな時にこそ父親が、一流大学をでた人間が必ずしも優れてはいない、かえって、学歴はなくても人間的に素晴らしい人が沢山いると説明し、うちの子供については与えられた能力を見極めてその才能を伸ばしてやろう、世間の評価に左右されないようにしよう、と母親に言えたら、母親の孤独感はなくなり、自信をもって子育てに励めるでしょう。このような家庭なら母親が世間知らずになることもなく、子供も両親がしっかりした目的を持っているのですから素直に成長していくと思います。

以上述べたことはフェミニストからみれば一番打破しなければならない考えかも知れませんが、これは決して女性を蔑視しているのではなく女性にしか出来ない仕事があり、その働きをしている女性を尊敬しているのです。一つの家庭から常識ある、他人の苦しみ、悲しみがわかる、愛情深い何人かの人間が社会に出ていくとすれば、その両親、特に母親は社会に対して間接的に計り知れない貢献をしていることになります。

現在、小学校の学級崩壊が問題になり、大学でも静かに講議を聞ける学生が少なく、さらに社会人になってからでも他人との会話がうまく出来ない人が増えているようです。これらは全て家庭での躾の問題だと思います。躾といっても身構えて禁止事項だけを教えるのでなく、日常の取り留めのない生活の中で身につくもの、逆にいえば両親の生活態度そのものがその規範になります。父親と母親がしっかり信頼しあい、その子供は愛し合っている両親をみて育ち、両親も成長していく子供から沢山のものを教えられる、親、子の役割はある時期にだけに存在するのではなく、毎日の一見何の意味もないような会話、暮らしのなかに含まれているのだろうと思います。
社会のいわゆる常識に惑わされることなく、父親(夫)、母親(妻)として今何をしなければならないのかを祈り求めたいものです。