分かってもらえない子ども達
2013年の夏は殊の外暑く、多くの熱中症の患者さんが出たため運動会を遅らせる学校が多くありました。
そんな十月のある日、母親に連れられて十歳の男の子が小児科外来を受診しました。
医師 「今日はどうしました?」
母「4?5日前から鼻水と咳がでていましたが熱はありませんでした。朝は普通に食べたのですが学校に行く直前にお腹が痛いと言い出しました」
医「今朝ウンチはでましたか」
母は子どもの顔を見て、目でどうなの?と答えを促します。
子供は小さな声で「下痢だった」
母は責めるように、「どうしてママに言わなかったの?」
次に体の診察にうつります。顔色、咽頭の所見、呼吸音、これといった異常は見つかりません。ベッドに横になってもらって、腹部をそっと触ってみます。全体に柔らかく、すぐに手術が必要な緊迫した状態ではありません。左下腹部に便の塊が腫瘤として触れるだけです。母親の視線を遮るように子供に覆いかぶさって子供の顔をじっと見て、「今、お腹痛い?」子供はほっとした表情でにっこりし、「痛くない」私はおそらく便秘だろうと考え、「浣腸をして便の状態を調べてみましょう」、それに対して「その検査はどのくらいかかるのですか、10分しか時間がないのです。勤めに行かないといけないので」聞こえないふりをして浣腸しました。案の定、健康なしっかりした便が大量に出て、もうお腹が痛いとは言いません。母親はそれを見て、「家ではあんなに痛いと言っていたのにもう痛くないの?」と厳しく子どもに問いかけます。今なら学校に行っても嫌な授業が終わっているのか、すっかり元気になって診察室を出て行きました。
医師はこんな時にどんなことを考えているのかをお話ししてみましょう。第一印象は、母が案外面倒くさそうな表情をしているな、子どもは何となくひ弱いということでした。次に、子どもが下痢だったと答えた時に子どもを責めるような口調になり、母はいらいらしているな。早く勤めに行かなければ、と聞いた時にはほぼこのケースの全貌が分かった気になっています。即ち、子どもは運動会の練習に疲れて嫌だなと思っている、朝起きたら何となくお腹が気持ち悪い、軽い気持ちで、母におなかが痛いと言ったら休ませてもらえるかな? 母は早く学校へ行かそうと、勤めに行く準備を急いでいる。そんな時にお腹が痛いと言い出す、子どもの様子から、たいしたことはないと思うが仕方ないから医者につれて行こう、行っても適当に診察をして学校へ行くように言ってくれるだろう。ところが浣腸などされて時間が取られた、しかも、さっきまでお腹が痛いと言っていた子どもが何もなかったような表情になった、これでは私が医者にウソをついたように思われるでしょう・・・・
日頃から子どもの様子をよく見て、運動会の練習で疲れていると感じること、自分の都合ばかりでなく、子どもが訴えた時にあなたのことを大事に思っているよ、と伝えることが何よりも大事だったと思います。
もう少し年齢が高くなって6年生くらいになると頭痛を訴える子どもがたまに受診します。問診、診察、一通りのことを終えてから大きな問題がないと思えたら最後にとっておきの質問に入ります。「お子さんは塾に行っていますか」、母「月曜日、水曜日、金曜日は塾で勉強、土曜日には塾はありませんがピアノを少し」、「それでは火曜日、木曜日はフリーですね」、「火曜日は習字、日曜日もサッカーです」結局学校から帰って気の休まる日は木曜日だけ。学校以外の行事に月40時間くらいを費やしていることになります。
「こんな生活をしていると疲れがたまるでしょう」
「ええ、でも皆さん、どこのお子さんもこれくらいのことはされていますよ、それに私は子どもに強制したことはありません。子どもが行きたいと言うから行かせています」 子どもはちゃんと知っているのです。喜んで、嫌がらないで塾に行っていると母に言えば、母が喜ぶことを。本当はもうそろそろ分かってほしいな、僕は限界に近いんだよ。
もう20年くらい前ですが中学2年の男の子が頭痛で受診しました。この子は診察中に椅子から落ちて床を転げ回りながら頭痛を訴えました。ただ事ではないので入院させて検査することにしました。ところが病棟に入って入院生活の説明を始めるころにはすっかり落ち着いて普通に会話することが出来るようになりました。学校の成績も普通で、大きな病気もした事もない元気な子どもで勿論検査も異常みられません。親、両親から事情を聞き、学校でのいじめが原因でこのような激しい症状がでたと診断しました。しばらく学校関係者、親の面会も断って経過をみましたが寂しがる事もなく、非常に安定した精神状態になりました。そのころ緊急一時保護(障害のある子どもで親が病気などの事情で面倒がみられなくなった時に一時的に預かる制度)で一人の子どもが入院してきて保育士さんがつきっきりで世話をしていました。その内彼はだれに言われるのでもなくそばに来て保育士さんと一緒に子どもの世話をするようになりました。ある日、彼はその保育士さんに目に涙を浮かべながら次から次へと止めどもなく、自分の生い立ちから学校の生活までを一気に話し、その日を境に彼は見違えるほど活き活きした生活をするようになりました。退院して4年後に彼は私に会いにきてくれました。そして、入院したころのことを振り返って、あの頃自分がどうすればいいのか全く分からなかった,入院して時間がたっぷりあったので自分のことを考えるようになった。そのとき障害児に出会い、自分がどれだけ恵まれているかが分かった。そして、「先生、オレね、もう絶対に前のように弱くなって負けたりしないよ。それから人の気持ちがすごくよく分かるんだよ。クラスで落ちこぼれそうになっているヤツの本当の友達になれるんだよ」
ここで3つの例をだしました。心が不安定になることは誰にでもあることですが、そのときに誰かがその支えになることが出来れば立ち直ることが出来ると思います。最初の10歳の子どもでは母が自分に余裕を持って子どもに対応すればうまく乗り越えることが出来るでしょう。2番目の例では世間体を気にするのではなく、子どもに本当に必要なことは何かを子どもの立場で考え、理解することで問題を解決出来るはずです。3番目の例は早い段階で親の気づきがあればこんなに状態が悪くならなかったのではないかと思いますが、自分の力で自分を救い出せたのは幸いでした。彼を取り巻く環境はそれほど変わってないかも知れません。以前と同じようにいじめがあったかも知れませんが彼の心はそんなことに負けない位強靭になっていたのだと思います。ひ弱な子どもから不屈の精神を持った、ひとの心を深く理解出来る思慮深い青年に成長出来たのでしょう。挫折を経験することは決して人生でマイナスになるのではないことを教えてくれていると思います。
人がまともに成長するためには栄養と愛情が必要です。小さいころは母親が中心的な役割をしますが、思春期になると親も重要ですが学校の先生、友人などとの深いつながりも極めて大事です。どうすれば相手が喜ぶか、何をしてあげることが出来るか、相手の話を本当に理解する、このようなことを常日頃考えることで愛情が生まれ、互いに支えあう人間関係ができるのではないでしょうか。
キリスト教保育 2014年8月号(p.38~40)