第3回 私が経験した ━乳児ボツリヌス症━
映画『空と海の間に』、辛子レンコン事件は食品中でボツリヌス菌が毒素を産生し、その毒素を摂取することによって発症する中毒でしたが、1976年(昭和51年)米国で、乳児の大腸でボツリヌス菌芽胞が発芽増殖し毒素を産生し症状出現する全く新しい概念が発表されました。ボツリヌス菌は土壌、河川水、哺乳類、鳥類、食品(ハチミツ、水あめ、コーンシロップ等)に存在し私たち成人は日常生活で摂取していますがこれによって発症することはありません。しかし、乳児では腸が未熟であるため発症することがあります。(腸の未熟とは何か? 真の原因は不明ですが教科書にはそのように記載されています。)わが国での乳児ボツリヌス症は10年遅れて野田弘昌先生によってその第一例が発表されました。私は1971年(昭和46年)に医学部卒業ですから医学部の講義では教えられたことがない疾患でしたが、当時出入りを許されていた神戸市環境保健研究所(大阪府立大学 故坂口玄二先生門下のボツリヌス研究者が在籍していた)で乳児ボツリヌス症の症状、検査方法を耳学問で知っていました。1992年(平成4年6月)当直業務をしていた私の目の前に66日齢の赤ちゃんが連れてこられました。主訴は顔色不良、呼吸数減少でした。診察時にはすでに呼吸安定し、鼻水が少し出ているだけで理学的所見に異常はありません。鼻を吸引すると元気な泣き声になり、カゼという診断で投薬なしで帰宅させました。翌朝5時ころ前述のBaby が連れてこられました。主訴は呼吸が少なくなったとのことで、刺激を加えると呼吸するが、なにもしないと無呼吸になる状態でした。診察台の上に寝かせて観察していると確かに呼吸が浅くなり停止します。刺激を加えると回復しますが、筋力も弱く、放置すると呼吸停止で死亡するため、入院させて人工呼吸管理を開始しました。各種検査では異常値は見当たらず、 臨床医の勘で乳児ボツリヌス症の可能性を疑い、神戸市環境保健研究所の貫名正文先生と相談しボツリヌス検査を行うことにしました。病院で行うことは浣腸しないで患児の便をできるだけ多量を採取することでしたが、症状の一つに便秘があり、便を採取することは容易ではありません。注射針キャップ先端にワセリンをつけ、かき出した便をシャーレに取り、すぐに研修医に大阪から神戸まで運んでもらいました。神戸市環境保健研究所では電話を受けてすぐに検査準備に入りました。マウスにボツリヌス抗毒素血清(A, B, E 群その他?)を注射しておきます。届いた便の懸濁液上澄を作成し、マウス腹腔内に注射します。翌朝、抗毒素血清Aを投与したマウスだけが生き残り、他はすべて死亡しました。これは患児便にボツリヌス毒素A が陽性であることを示し乳児ボツリヌス症の診断が確定しました。日本では13例目の症例です。最初に受診した夜11 時を0病日とすると第3病日には診断が確定したことになります。臨床医と検査関係者との連携がよければ早期の診断が可能です。
この症例では朝5時ころに家人が呼吸の異常に気づいたため救命できました。もし、気づかなければおそらく死亡したでしょう。そうなれば私は家族への説明として、間違いなく、乳幼児突然死症候群としているはずです。この症例をきっかけに私は乳児の突然死の原因として必ず乳児ボツリヌス症が含まれると確信するようになりました。